真壁朝顕の墓

真壁朝顕は「真壁チャーン」の通り名で知られる武の達人、
空手が生まれる遥か昔の武人となっております。

真壁朝顕
1773-1829
 
進貢使節の随行員として北京へ行き、中国拳法を修めたといわれる。
真壁チャーン(小型の鶏)の異名をとった。

沖縄空手会館資料室より引用

真壁朝顕(マカビチャーン)之墓。

200年ほど前の実在したとされます。

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