本部御殿墓
宜野湾市の史跡に指定され新しくなった、
本部御殿墓に向かいます。
我如古十字路から国立病院に向かい、十字路から左へ。
本部御殿墓の案内板も設置されております。
通路もきれいに整備されましたね。
ちょっと前まで草ボーボーでしたが。
通路がカクカク曲がっております。
マジムンは曲がれないのでそうなっていると思います、たぶん。
こちら本部御殿の歴代頭首の眠る墓となります。
第10代、尚質王の六男の家系だったはず。
本部御殿手でお馴染み本部朝勇先生は尚質王から10代あとの子孫。
本部朝勇(1857~1927)本部御殿手開祖。首里手の大家・本部朝基の兄。一子相伝の武の技法は初歩から同一の術理で組み立てられ、徒手の術も武器の術もすべての動きに共通するという、臨機応変の極意技に仕上げた。
本部御殿墓
宜野湾市指定文化財 史跡本部御殿墓は、第十代尚質王の第六男・尚弘信、本部王子朝平を元祖とする本部家の亀甲墓で、第二尚氏王統の記録である『王代記 全』には「当初首里末吉に安置されていた遺骨を我如古に移した」とあることから、元祖朝平が洗骨された康熙33(1694)年以降に造営されたと推測されています。
本部御殿手については本部朝勇先生の息子が戦死したため、
本部御殿手の宗家であった上原先生が、本部朝基の息子に継承したはずです。
現在は沖縄に本部家の人間が居ない可能性がありますので、
宜野湾の史跡としてある程度行政で管理されるのは良かったのかもしれませんね。
きれいに整備されていて何よりです、
また近くに寄ったら伺いましょう。
本部御殿墓
・沖縄県宜野湾市我如古2丁目9
・「我如古」バス停から徒歩10分。