知花朝信顕彰碑
知花朝信顕彰碑は首里にあります。
山川二丁目バス停あたりから公民館向けに上っていきます。
山川町公民館に到着しました。
公民館のこちらですね。
これまた立派な顕彰碑、
首里手の空手人口は多いですからね。
碑文
小林流は1933年拳聖知花朝信(1885~1969)によって命名・大成された首里手系の流派である。知花師(鳥堀出身)は15歳の時、糸洲安恒(1831~1915)師に弟子入りした。兄弟子には山川出身の屋部憲通(1866~1937)や船越義珍(1868~1957)、花城長茂(1869~1945)等が、弟弟子には当蔵出身の徳田安文(1886~1945)、平良出身の城間眞繁(1891~1957)がいる。
屋部憲通は沖縄県師範学校の空手教師として10年余にわたり学生を指導した。1927年にはロスアンゼルスからの帰途ハワイに立ち寄り、海外で初めて空手を指導した。
花城長茂は1905年沖縄県立第一中学校に勤務し、糸洲安恒の師範代を務めていた。花城は1905年、指導の指針として「空手組手」を著し、「空手」という用語を初めて用いた。
船越義珍は1922年より東京で空手の指導を開始し、空手が全国に普及する礎を築いた。
知花師は1918年頃より道場を開設した。戦後一時期山川公民館を道場として門弟を指導したこともある。知花師は1948年沖縄小林流空手道協会をを設立し多くの門弟を育てたが、中でも宮平勝哉(1918~2010)・比嘉佑直(1910~1995)・仲里周五郎(1920~2016)は代表的である。
松村宗棍(1809~1899)(山川出身)より糸洲安恒(儀保出身)、知花朝信と受け継がれた首里手は知花師によって小林流と命名され花開いた。知花師は小林流普及の功績が認められ、1960年第四回沖縄タイムス賞(体育)1968年春の叙勲では勲4等瑞宝章を受章した。小林流は沖縄最大の流派であり、日本、北米、南米、ヨーロッパなど世界的に普及している。ここに知花師の功績を称え、没後50周年を記念して顕彰碑を建立する。
2018年(平成30)7月29日
(関連記事)・空手古武術首里手発祥の地の碑
知花朝信顕彰碑
・沖縄県那覇市首里山川町1丁目27
・「山川二丁目」バス停からすぐそこ。